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2020年12月 5日 (土)

久しぶりからまた久しぶり

前回の記事が9月だった。また来週と書いてから2か月以上が過ぎた。

もう言い訳は通用しないよねぇ・・・

書けないんだ、時間も頭もなーんにも余裕が無くて・・・

で、書かねばとPC広げたらブログにログインできなくて。

どうすれば良いのやらとあれこれしてみたら、全然違う方法でログインすることに

なっていた。ま  自分の不注意で知らないまま時が過ぎただけなんだけど。

更に 今日になってブログの表示がおかしいことになっていた・・・

まあ いいかと忘れないうちに更新してみる。

 

春にコロナ禍が始まってからひきこもりに拍車がかかって。

とは言ってもいかねばならないところも当然あるわけで母が暮らしている施設には

そこそこの間隔で出かけてはいた。

が 緊急事態宣言とやらが出てからは面会もできなくなった。

必要なものを事務所に届けて、母からの伝言を聞いて帰ってくる。

正直、母の様子は実感としてはわからないに等しい。

そんな数か月ののち一時解除になった面会も人数を制限され時間も制限され

15分経つと心せかされるように帰ってくる。

このころから母の食欲が落ちてきた。

そりゃあそうだ、外出できない 面会もゆっくり来ることはない。

出来るだけ自室にこもって一日テレビを見る。

飽きたら寝る。

介護士の皆だって、そうは暇があるわけでもないし一日誰とも話をしない事もある。

頭の中にも心の中にも風なんか吹かない。

そのうち歩けなくなったし食べられなくもなった。

それでも食べたいものはいくつかあったのでそれらを見繕って届けたが

その食べたいものさえも頭と目と心が食べたいだけで実際はほとんど手も付けていない。

三度の食事も食べられないようで体重は減る一方。

七月には施設からは家族としてターミナルをどう考えているかの話し合いをとの連絡もあった。

そんな面会も七月末には再度無期限の禁止になり、そのまま秋を過ぎ

とうとう11月になった。

ろくに会えないままの半年以上で母の状態は驚くほどの速さで衰弱に向かった。

10月半ば、腰と背中が痛いから腰痛ベルトが欲しいとのことで届けたが、二日後

痛みが治まらないから受診したいと病院へ、数種の検査をしたが特に何も出てはこず

やはり腰痛ベルトで固定した方がよいとの結論になり、今使っているベルトで

良いことになったが、母は医師の目の前でこんなものが有るから苦しいと言い放ち

ベルトを外した。

ベルトを外したままの一週間後、物を飲み込むことが出来ないからと食事をしなくなったので

以前に運んでいた高カロリーゼリーを運ぶことになったが、それさえ一口二口飲むのが精いっぱい。

11月11日

会話が怪しくなってきて、いる筈のない猫が上の階から降りて遊びに来ると

言い出した。いよいよその時が近いのかと思っていた。

11月14日

飲み込むことが出来なくて胸のつかえが苦しいから受診したいと言い出した。

11月16日、受診、入院

血液検査・レントゲン・CT・MRI・造影剤での食道の通過障害検査等々したものの

血液検査は少々引っかかるところはあるにしても90歳となればまぁそこそこ納得の数値で

特に悪そうなものは全く出てこず、そのまま入院となった。

11月21日

点滴での水分補給と栄養補給5日間、病院からの連絡では快方には向かわず傾眠状態だと。

病院では胃瘻や鼻チューブ経由での高栄養を取らせることはできるがどうするかと聞かれたが、

もともとリウマチがありギランバレー症候群の後遺症も残っている。

それで命は繋げてもその先に何があるのか・・・

チューブ処置は断った。

それから10日、一度も会えないまま11月30日に退院でまた施設に戻った。

今の状態がどんななのか面会出来てないから全く分からなかったが・・・。

チューブ栄養を断ったので相当に衰弱が進み、もはや施設での看取りが母の時間なのかと思っていた。

しかし、なんと自力で食事をし始めての退院だった!

昭和ひと桁生まれの母、もうすぐ91歳、なんという強さ。

敵わないなぁとしみじみ思う古希の自分。

12月に入って施設はまた全面的に面会は禁止になっている。

この先がちょっと不安・・・

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