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2013年1月の1件の記事

2013年1月14日 (月)

七七日(四十九日)

長いです、面倒だったらスルーしてください。

1月14日 七七日(四十九日)になりました。

九時過ぎから雪が降り始め、久しぶりに大雪警報が発令されました。

成人式の雪、十数年前の成人式にも雪が降った記憶があります。

2013114

この雪の中でココを庭に還して、上にはサンゴの時と同じように水仙を植えました。

この7週間 長かったのか短かったのか。

何も考えることができなかった年の暮れ。

それでも熱発の孫守やら正月準備やら年明け早々の娘の引越しやらで、何かを考える時間も余裕もなく時に追われ今日の日を迎えました。

この慌ただしかった年越し、ヤモリにとっては ある意味ありがたい忙しさだったかも知れません。

今やっと あの日あの時を振り返る時間ができました。

それまで膝にいたココが、いつものPC上に上がって寝たのを確認してから米を買いに出ました。(まったく記憶に無いのですが出かける前の17時43分にココの写真を撮っていました。それも いつもは使っていない方のデジカメで)

たった10分の買い物(米のレシートは18時03分でした)から帰り、台所に買ってきた米を置き、ほとんど癖になっているココの所在を確かめるために振り返ってPC棚の上のココを見ると、出かけるときは丸くなって寝ていたココが手と足をすっと伸ばした形で寝ていました。

棚板から少し頭がはみ出していました。

こんな格好で寝ていることもままあったので、「こっちゃん頭が落ちるよ」と声を掛けながら頭を持ち上げようとしたら持ち上げた顔はいつものココっちんなのに瞳孔が開いていて・・・

焦点は会わず、どこを見ているようにも見えませんでした。

鼻先に顔を近づけてみると息をしていなくて、足の付け根で脈を確認してみても脈がふれませんでした。

しっこがポタリポタリと滴っていました。

少しの間 かえっておいでと名前を呼びながら心臓マッサージをしてみたのですがココの目に光は戻ってきませんでした。

吐いた形跡も暴れた形跡もありませんでした。

この時、何故か妙に冷静な自分がいました。

腕の中できつく抱きしめてサンゴ兄ちゃんを送った時や、タラ母さんの旅立ちを看取ったときのように どうにもならないあの背中が冷え切って全身の血が引いてしまうような、足元が大きくグラッと揺れるような感覚はありませんでした。

どうしてなんだろうとずっと考えていました。

野猫のタラ母さんの高齢出産時の子として生まれ、2ヶ月半で風邪を引き、食べられなくなった二つの小さな命。

あの時あのままだったらきっと無かったと思われる小さな小さな命。

見るに見かねて二匹とも保護し、点滴に通ってサンゴ兄ちゃんとココは一緒に我が家の家族になりました。

こうしてココとサンゴを家族にした13年前から、たぶん猫たちの方が先に旅立つだろうという漠然とした覚悟はありました。

腎臓が片方しかなく6歳で駆け抜けて逝ってしまったサンゴ兄ちゃん。

その半年後にはタラ母さんも旅立って、一人ぼっちになってしまったココ。

ココには食べ物のアレルギーが有り、キャットフードの材料を確認するなど どんなに気を付けても耳の後ろにアレルギーハゲを作る ご飯の難しい子でした。

アンダーコートが極端に薄く、舐めるとすぐに皮膚に届いてしまうような子でした。

体温が高く、そのくせ寒がりでした。

一人での留守番をすると手や足を舐めてハゲを作る子でした。

もともと甘ったれでしたが一匹になってからはいつもヤモリにくっついているような子でした。

その甘ったれ度が昨年の春頃からだんだん大きくなってきて・・・

夏には頻尿の無い血尿があり、薬で治まったものの原因を調べるには尿道からの内視鏡検査が必要だとの事、13歳で全身麻酔での検査に踏み切ることはできませんでした。

獣医のセンセイと電話で話をしているのを聞いただけでへっぴり腰で気配を消して隠れる子でした、もう怖い思いをさせることもしたくはありませんでした。

この頃からヤモリにひっつくココの瞳に何かよくは分からない光を感じていて、もしかしたらこの子にはご長寿猫を望めないのかと思い始めていたのも事実でした。

どう表現したら伝わるのか難しくてわかりませんが、もしかしたらこの目の光でココはココなりにヤモリに伝えたい事があったのではないかと感じています。

10月にヤモリが留守した間の爪抜け事件からは、本当に一日の殆どの時間 ココはヤモリの膝か肩か胸のうえでした。

もともと引きこもりのヤモリ、最低限の買い物以外の外出はしませんでした。

この頃のココが膝から胸、胸から肩によじ登ろうとする力には何か必死とも思えるような思いが伝わってきていて それならココの気の済むまで付き合う覚悟のようなものもありました。

それでも 元気が無かったかと言われればそんなことはまったく無く、庭を横切る近所の友猫ちゃんを追いかけて窓から窓へ走り回って呼んでいたし、日向ぼっこもいつも通りでした。

ココのセンセイに電話で話をしたら、たぶん心臓発作だろうと・・・

ココとヤモリ、爺さん猫と婆さんヤモリ 一緒に老いて行くはずでした。

サンゴとタラの介護用品もココに役立つようにと大切にとってありました。

ヤモリが車を転がせなくなる頃まで一緒に歳をとって猫家族を送ってから、自分の棺に動物家族の遺骨を入れ、ちゃんと抱いて橋を渡るつもりでした。
そういう意味で、今は みんなをヤモリの子として抱いて行かれるというある種の安堵感のような思いもあるのです。

ココは「おいで」が分かる子でした

ココは「まて」ができる子でした

ココは「よし」が分からずいつまでも待つ子でした

ココは膝の上でひょいとひっくり返して爪切りができる子でした

ココはブラシをかけるのが大好きでした

ココは家族以外にはなかなか姿を見せない「幻の猫」でした

ココは  ココは  ココは  どんなに書いてもキリがありません


Jyaane

ココが必死に訴えた目の光、言葉にできない何か

ヤモリが心の奥で感じとった何か

それがあの日のあの時にはじめて理解できた気がしました

ヤモリの時間のほとんどはココのための時間でした

にもかかわらずたった10分の留守の間

それもココ自身が選んだ「その時」と受け入れます

後悔とか自責とかの言葉はありません

まだまだ悲しいです 寂しいです

それでも 思いのほか心は穏やかです

お心遣いをくださった皆様、コメントを下さった皆様

ありがとうございました

婆さんヤモリ大丈夫です もう少しだけ時間をください

お返事も必ずいたします

もう少しだけ・・・

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