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2008年4月10日 (木)

想い

このところ高齢者で持病もちの母のリハビリと施設入所についてずっと考えていた。

ギラン・バレー症候群でほとんど3ヶ月近く寝たきりだった母が、大学病院から出戻って来てからリハビリを始めたわけだが、毎晩のように熱を出した。

大学病院では病名が分かった時点ですでに1ヶ月半を過ぎていて治療は出来ないと結論付け、後はリハビリをと言いながら退院まで3週間寝たきりになっていた。この間リハビリが出来ていたらもう少し回復は早かったのかも知れない。

そして出戻った病院、リハビリテーション科はあったものの整形外科の手術後や脳外科の手術後のリハビリが多く、リウマチ持ちのギラン・バレー後廃用高齢者のリハビリの経験はなかったらしい。

大学病院でも、このリウマチでのリハビリは相当に気をつけてやる必要があって難しいとは言われていたが、やっぱりリハビリをすると熱が出た。

ギラン・バレー症候群で神経が阻害され感覚も鈍くなっていて本人が感じる痛みの境界線が関節の可動域を超えてたり、その上リハビリは痛いものと言い聞かされていた本人が痛みをじっと我慢していたりで予想以上の負荷が関節にかかっていたようだ。また、寝たきりで筋肉も退化し、骨と皮だけになった体には床のマットの薄さも堪えたようだ。肩や肩甲骨には骨が床に擦れるたびに痣のように赤くなった部分があり、そこは一晩疼いて眠れないと言っていた。そのための発熱もあったようだ。

できることならリハビリを続けて動けるようになって欲しいとの思いはあったが、体と心に負担なだけのリハビリが本当に母にとっていいのかどうか随分と考えた。相談室で見つけてくれた病院も、リウマチがあって、ギラン・バレー発症から3ヶ月も経って廃用が進んだ高齢者のリハビリがどこまで理解されるかも不安だった。転院して痛い思いをして毎日熱を出し食べるものも食べられなければ体力的には衰弱する一方だろう、そしてその150日後には衰弱したまま療養型の病院に転院となり毎日を天井を眺めながら過ごすわけで、そんなリハビリが母にとってどうしても必要なものかどうか。母の表情は日に日に暗くなってきていた。

一日中天井を見つめている日々。想像するだけで気持ちが重くなる。それでもいつか動けるようになるならとも思っていた。

特養にはいれるかもしれないとなったとき、母にはどう説明しようかと悩んだ。

6年ほど前に有料の介護施設に母と一緒に行った事があった。そのときは全然別の用事で出かけたのであって、全く見学でもなんでもなかったのだが母は用事が済む前に帰ると言い出した。そのときはこんな入所に数千万かかる高級ホテルのような立派な施設になんか入れるわけが無いと笑ったが、いつか来るかもしれない自分の姿を見たくなかったのかもしれない。この高級な有料施設でさえ、様付けで呼ばれている入所者に明るい目の光は見られなかった。ましてや介護保険での特養となれば昔の老人ホームと言うイメージが残っていて、そこに入れる事が自分にとって母を捨てるような負い目を感じてもいた。

しかし、今回の施設の見学をさせて貰ったときの明るい雰囲気に母にはここが適しているのではないかと言う思いが強くなった。母に話した時、あまりにもあっさりと特養入所を納得したのにも正直驚いた。それだけ病院での毎日が辛かったという事か。

今、施設に入所して4日が過ぎ、母は毎日をそれなりに受け入れて施設になじもうとしているらしい。少なくとも病院にいるときよりも表情は明るく、話し方も力強くなってきた。

やはり人間は人間の中で会話をしながら過ごす事が大切なんだろうと思う。

たとえそれがちょっと的外れな会話でも、天井を眺めながら言葉を発しない毎日よりはずっと生きている事を実感できるのだろう。

施設では出身地の近い人を同室にとの配慮をしてくれたようで昔々の東京の話が出来る事を喜んでいる。みんなでリハビリがてらタオルをたたんだりしながら誰かと同じ作業が出来ることも喜んでいる。

人は人の中で人によって生かされているんだ。

そんな事をふと思う。

そして・・・私も多くの人の中で助けられながら生かされている。

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